忘れたくないなと思ったこと。海外旅行と仏教が多め。

ジブリ高畑勲監督「かぐや姫の物語」の仏教の視点からラスト考察。 – かぐや姫が涙を流した理由と天人の世界


ネタバレしています。未鑑賞の方はお気をつけください!

はじめに

こんにちはー!Chikaです😄
遅ればせながら スタジオジブリ高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を鑑賞しました!

鑑賞後、やはり疑問に残るのは、

* ラストでかぐや姫が地球を見て涙を流した理由
* 月の世界(天人の世界)とは?

という点について。
鑑賞後、あれこれ考えを巡らせていくなかで、私の中で筋が通っているんじゃないかな?
という結論があったのでここに書きます

私は浄土真宗本願寺派の勉強を少ししています。
それによって気がつけた視点なのかな?とおもったので、「仏教の視点から」とタイトルに入れました!

月(天人)の世界

月から迎えに来る天人は、仏さまの見た目をしています。
月の世界は、浄土とほぼ同じ世界、つまり悟りを開いている世界でしょう。

浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。 (引用: 浄土 – wikipedia)

物語なので脚色されていますが、ほぼほぼ、こういった世界であると思います。

天の羽衣を着ると、月(浄土)の住人となる

天の羽衣を身につけることで、悟りを開いた状態となる。
悟りを開いた状態とは、煩悩・苦しみ・執着のない精神状態になること。
悟りを開いた人 = 仏 であるので、つまり、かぐや姫は、羽衣を羽織った時点で仏とほぼ同じ存在となっている。

かぐや姫が地球を振り返って泣く理由

かぐや姫が地球を振り返って涙しますが、
「おじいさん、おばあさんと別れて寂しい、想っている」
「我に返って地球を思い出したがもう帰るには遅かった」といった意味での涙ではないと考えます。

天の羽衣を羽織ったかぐや姫には、執着、煩悩、というものがありません。
地球を振り返って涙することに、上記で上げた煩悩的な感情での涙はありえないと思います。

「地球の人は煩悩にまみれた生き方をしていて、なんと哀れなのだろうか。」
といった理由から涙しているのではないかと思います。

大事に育ててくれたおじいさん、おばあさん、そういった愛おしい人だからこそ涙を流したのではないでしょうか。
さらに、この考えを発展させると、
「そういった人を助けたい」という慈悲心を、かぐや姫の涙から感じられるような気がします。

映画全体の感想

当然かぐや姫だから、最後どうなるかは知ってますよね。
竹取物語も古文の授業で習っています。
でも、大人になってから、かぐや姫を読んだことがなかった私にとって、
幼い自分と今とでは、感じ方が違いすぎました…!!
映画館で見なかったことを大後悔😭

天人が迎えに来て、かぐや姫が月に帰るシーン。
そこだけでこの映画すべてのシーンへの見方が変わるといっても過言ではないと、私は思いました!

かぐや姫がおかした「罪と罰」という観点でもいつか書きたいなあ💭

Author 💓 Chika

旅行は直前に慌てて下調べしていくタイプ!
夢はいつか世界一周💗
Job👉フリーランスフロントエンド/Webデザイナー🎨

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